… くまがい桂子 の プロフィール …

 

・ 1954年2月、北海道の十勝、幕別町で生まれ、小学校教員だった父の転勤に伴い小学校は清水町立御影小学校から音更町立南中音更小学校へ、中学校は中音更中学校から広尾町音調津中学校へと転校し、高校は地元の広尾高校へ通学。

 

・  電話交換手・歯科助手・学童保育指導員・教員などの仕事、そして子育てをしながら、通信教育で東洋大学文学部国文学科・日本女子大学家政学部生活芸術学科に学び、教員免許取得。

 

・ 1987年より自宅を開放して 夕張市に初の学童保育を開設。公設化へ向けて市民運動開始。

 (1997年 公設運動がみのり、市が2箇所で公設学童保育を開設。)

 

・ 1991年より2002年まで、栗山・岩見沢・長沼・南幌・由仁・穂別・追分の1市6町の小・中学校9校にて教員

 

・ 2003年より2007年まで 夕張市議会議員  厚生常任委員

・ 2007年 ゆうばり再生市民会議 運営委員 広報委員

 

      家族 〜 夫、二女、一男

      欠かさずみるもの 〜 「宮崎駿監督のアニメ」 「NHK大河ドラマ」

    最近はまっているもの 〜 コーラス、ヨガ、山歩き

 

 

・・・・・・ ふり返ってみると ・・・・・

 

東京オリンピックの年、父の転勤で転校した小学校5年生のときの十勝の大冷害。

畑は大打撃。困窮した農村に支援物資が届き、事の重大さと、生活のなかに助け合いがあることを実感。町の暮らしと農村の暮らしの大きな違いに戸惑いながらも、強く印象に残っています。

 

中学校3年の12月にまた転校。農村から漁村へ。明るく開放的な漁師町の高校に入学し、自分自身も元気をもらった気がします。生徒会執行部で学校祭などの行事にかかわったのも良い経験でした。

 

短大生活にはどうしても納得いかず、親の反対を押し切って退学。その日から自活の日々が始まりました。アルバイトで食べるだけの生活。元祖フリーターと自称しています。将来を夢見て、学費作りのため、昼間はコンピューターの入力のアルバイト。夜は割烹料理屋で下働きのアルバイト。釧路で深夜の大混雑の銭湯で、飲食店で働いているたくさんの母親の年代のおばさんたちとともに入浴したのが忘れられない思い出です。

 

2年後、どうせ一度の人生、夢に挑戦と東京の専門学校へ。でも、夢を果たすには大学卒業がほとんど必須条件とわかり、中退。

 

22歳から東洋大学の通信教育を受講。卒業までこぎつけるのは入学した人の1割というのを、かなり後で知ることに。(現在では、インターネットを使う等、少し事情は変わってきているようですが…。)それでも、東京にいる間は、スクーリングにも容易に通え、ある程度順調に。

 

24歳で結婚。夫の転勤に伴って夕張に来てからは、教育実習は終えたものの東京でのスクーリング゙に参加もままならず、子どもに手もかかるようになり、ほとんどストップ。そんなとき、新婦人で知り合った友人が助け舟を。もつべきものは友ですね。おかげで無事東洋大学を卒業し、教員免許も取得することができました。

 

このときお世話になった友人の就職で困ったのが、学童保育が夕張市内にはないことでした。これが最初のきっかけで、後からも学童保育の必要な人がどんどん出てくることに。

 

私も仕事があれば働きたいと考えていたので、まず学童保育作りに向けて、新婦人(新日本婦人の会)のなかで相談したり、札幌から講師にきてもらい、勉強会を開いたり、学童保育作りの本を購入したり。 自宅で始めた学童保育。希望者が増え、市に公設の学童保育をつくって欲しい。それが無理なら、せめて場所の提供と助成金をと市民運動。

 

91年に末広に市の空き住宅を借り受け移転、指導員交代、その後市民運動が実り、97年に公立の学童保育開設へ。「政治は住民のためにある!」と実感しました。

 

学生と子育ての10年間、「新日本婦人の会」で学び、共同保育園「緑ヶ丘保育園」の運営と学童保育所づくりにかかわる。子どもの幸せを阻むものを何とか取り除きたいものと、日本共産党に入党。

 

 1991年、37歳で初めて教壇に。 中学校で生徒とともに国語・家庭科を学び、小学校では障がい児学級や低学年の子どもたちと、仲良く遊び、学び ・・・楽しい11年でした。

 

 しかし、「生きる力をつける教育」が必要なのに、「3割の子どもが分かればそれでいい」などと、違う方向に進む学校現場に異常さを感じてもいました。 2002年5月、頚椎ヘルニアを発症し、治療・療養のため、残念ながら7月に退職。

 

 数ヵ月後、2003年4月の一斉地方選挙に夕張市議へ立候補の要請を受け、「政治を変えるために」と体調にやや不安を持ちながらも決意しました。(今はかなりよくなりましたが、今でも首が痛くなると 天気が崩れます。)

 

たくさんの方たちの大きなご支援で 夕張市議会議員に当選することができました。

「子育ても 老後も  安心のまちづくり」をめざして、ゆるやかなネットワークを作り、みなさんの思いを議会にしっかりと反映できるよう全力を尽くしていきたいとはりきっておりました。

 

しかし、後藤新市長は夕張市の財政は「異常なほど悪化している」ということで「財政健全化政策」の名のもと福祉や教育、住民サービスを毎年削減したにもかかわらず、2006年には財政再建団体に。

 

財政再建計画は、国の石炭政策に翻弄され、大企業の言いなりに借金を押し付けられ、水道や住宅、病院など炭鉱閉山後処理に費やした583億円、そのうち国や道が負担したのは185億、残り332億が地方債となったことには一切ふれられていません。

 

炭鉱閉山の後、観光で雇用をつくろうとしましたが、結局は莫大な赤字を背負いました。もちろん行政の責任者には大きな責任がありますが、知っていながら赤字を大きく膨らませることを黙認してきた国や道の責任、銀行の貸し手責任などが指摘されながら一切不問。

 

「全国最高の住民負担・全国最低の住民サービス」・・・詳細は下記をクリックしてください。

http://www.kumagai-keiko.net/modules/tinyd12/

 

 

本来、「戦争放棄の9条」はもちろん、「健康で文化的な最低限度の生活を保障した25条」など、

 

日本の宝「日本国憲法」に根ざした政治をめざすことが当たり前なのに、現実はどうでしょう?

 

平和を脅かし、健康を破壊する政治、文化を破壊する政治が広がってきていませんか?

 

国のあり方を決めた「憲法」を政府に守らせるのは、12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」とあるように、私たち国民がしっかりと声を上げ行動して守らせるしかありません。

 

日本国憲法を政治の土台にすえることが「笑顔で暮らせる政治」をつくることになると思いませんか? 日本オリジナルの日本国憲法を世界の標準憲法にしたら、世界中が「笑顔で暮らせる政治」になると思うのは私だけでしょうか?

 

 

どうぞあなたの政治への思いや願いを お寄せください。

メールやコメントもお待ちしています。 

力を合わせて 笑顔で暮らせる政治を つくっていこうではありませんか。

 

 

まがい 桂子

mail@kumagai-keiko.net

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